本物よりも“ホンモノらしい”食品サンプルを目指して
時代の変化とともに、食品サンプルは「単なる見本」としての役割から、お客様に商品の魅力を瞬間的に伝える「販売促進ツール」へと役割が変化してきました。取引先から求められるニーズも多様化してきております。
わたしたち岩崎模型が考える理想の食品サンプルは、「本物そっくりのサンプル」ではありません。素材となる商品をそのままコピーするだけでは、商品の本来の魅力を最大限に伝えきれないことが多々あるからです。
「おいしさ」を伝える為には、ウインドウ内の照明や角度などの細かな点まで考慮し計算しながら、素材にプラスアルファを施した仕上がりを心掛ける必要があります。
そうして作られたサンプルは、ウィンドウに飾られた際に商品の「おいしさ」を最大限発揮します。ただ商品の外観が似ているだけではなく、商品の一番美味しい瞬間を切り取った、「本物よりも” ホンモノらしい” 食品サンプル」。
それこそが、わたしたちの志す食品サンプルです。
HISTORY
食品サンプルの産みの親
郡上八幡に生まれ育ち、1932年(昭和7年)大阪にて食品サンプルの事業化に成功した食品サンプルの第一人者が岩崎瀧三です。故郷八幡をこよなく愛した瀧三氏は、1955年に岐阜工場を設立、地域社会教育・福祉事業に貢献しました。現在ではサンプルの故郷として多くの職人達がサンプル業に携わっています。
そんな岩崎瀧三にとっての食品サンプルの原点は、水面に落ちた一滴の蝋でした。
幼少期のころ、蝋そくに火を灯した際に、溶け落ちた蝋が水溜りに落ちて白い花のような形を作りました。梅の可憐な花びらに似た、この自然が作る素朴な形象は、瀧三の心の奥深くに新鮮な響きを刻み付けました。
サンプル第一号
「梅の花」の発見からしばらく月日は流れ、1931年(昭和六年)。27歳の瀧三はとある学校教材と思われる食品模型と出会います。
当時はまだ食品サンプルは食品模型や料理模型と呼ばれ、本格的な事業化はされていませんでしたが、その出会いは瀧三に、少年時代に見た蝋の花の記憶を蘇らせました。それからというもの、瀧三の蝋に対する関心は常人には考えられないほど大きく膨れ上がっていき、食品模型を企業化しようという考えに至りました。食堂のウインドウ自体が珍しく、かろうじて店頭に陳列してある模型も極めて幼稚な時代であったものの、瀧三は精巧な食品サンプルさえ出来上がれば、市場としての可能性が充分あると予見したのです。
幾度も失敗を重ねながら食品模型の試作に取り組み、ついにサンプルの第一号の試作に成功します。瀧三は精巧に出来上がったこのオムレツを「記念オム」と名づけました。それは、いまの食品サンプルのはじまりの第一歩でした。
日本の新たな文化として
こうして「記念オム」完成の後、瀧三は1932年(昭和7年)に岩崎製作所を創業します。高い製造技術と模型の「貸付制度」という独自のサービスによって食品サンプルの商品価値を高め全国へと広めました。
その後、故郷郡上八幡を愛した瀧三は地域社会教育、福祉事業等の目的で1 9 5 5 年(昭和3 0 年)に岐阜工場を開設。1 9 6 3 年(昭和3 8 年)には岐阜工場から岩崎模型製造株式会社と社名を変更し、より一層の地域社会への貢献を考えました。現在では(株)いわさき(大阪本社)・(株)岩崎(東京本社)をはじめ全国各地に支店・営業所を設立し、「いわさきグループ」として展開しています。
また郡上八幡が生んだ食品サンプルの創始者・岩崎瀧三の想いは故郷で若い世代にも脈々と引き継がれており、郡上市には現在、いわさきグループで働き学んだ人たちの独立によって数多くのサンプル業が存在しています。サンプル業が地場産業として地域に根付き、広く「食品サンプルの町」として知られるようにもなりました。
岩崎模型製造株式会社では歴史あるサンプル作りの技術を生かし、一般の方にも手軽に製作体験ができる施設を食品サンプルの故郷・郡上八幡で創業しています。それが当店 「サンプルビレッジ・いわさき」です。本物と見間違う様なサンプル作り、日本が誇る新たな文化の体験を、ぜひ一度お楽しみください。
会社概要
会社名 | 岩崎模型製造株式会社 |
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会社名ふりがな | いわさきもけいせいぞうかぶしきかいしゃ |
代表者 | 小酒井 誓吾 |
創 業 | 昭和 7年 6月(大阪にて) |
設 立 | 昭和38年10月 1日 |
資本金 | 1,000万 |
住 所 | 〒501-4224 岐阜県郡上市八幡町城南町250 |
電話番号 | 0575-65-2832 体験申込電話番号 0575-65-3378 |
FAX番号 | 0575-65-2947 |
グループ各社 | 株式会社いわさき大阪本社 株式会社イワサキ・ビーアイ 株式会社岩崎総合研究所 |